支援していたトラッソス(発育障害特別支援学校)から表彰状を送られる松本氏(右)
まずは、創業の経緯から教えてください
私は大学卒業後、コンピューターソフトウェアの会社に入社し、ずっとコンピューターの仕事を続けてきましたので、それ以外の仕事をしたことが無いのです。
今回譲渡した会社を設立する前は、アメリカのコンピューターソフトウェア販売会社の日本法人の代表を務めていました。同社の資本は半分以上アメリカの会社が持っており、私の持分は一部でした。このままずっと雇われ社長として続けて良いのかと将来のことを考え、50歳を機に10人位の会社を作ろうと創業しました。社名はマイクロコンピューター・ディベロップメント・ファクトリー(エムデーエフ)に決めてスタートしました。当初は電機系出身の知見を活かしてマイクロコンピューター(ハード)の方が面白いかと事業を始めましたが、思った程うまくいかなくて、ハードからは事業のネタを見つけることができませんでした。それから複数の事業を試行錯誤の末、設立5年目頃に友人から紹介を受けたソフトウェアを扱うことになり、アメリカで開発された医学統計ソフト1本に対象を絞って、日本国内への普及に携わることになりました。
当初松本様お一人から始めて、事業拡大の過程にはどんな状況がありましたか
まずはネット販売のためのホームページを作りアピールすることにしました。ソフトウェアの仕入先であるアメリカのGRAFPAD SOFTWAREの社長の了承を得て、同社がアメリカで使用しているホームページの情報を日本語に翻訳し使わせてもらいました。少しずつ国内で認知されてくると大手の企業からの受注も増えてきて、売上が5,000万円を超えるようになると一人では手に負えなくなりました。技術面のサポートや受注対応などに必要な人員を少しずつ増やしていきました。
1番最初の従業員はホームページを作る技術があって、英語も堪能でした。アメリカのホームページをそのまま日本語に翻訳して使っていたホームページを国内用に改良し、日本人向けにアピールできるホームページになりました。
その後、さらに売上が少しずつ上がりまして、次に2人目の従業員として技術の専任者を採用し、英語版のソフトウェアを日本語化するプログラムを開発しました。最後に義理の息子が従業員として入ってくれてちょっとした組織になって、セミナーもできる広めの事務所に移転しました。その時は漠然と将来義理の息子に会社を継いでもらおうと考えていました。
M&Aに至った転機は何だったのでしょうか
きっかけは2020年2月にアメリカの親会社から会社を売却しないかと打診があったことです。そのときは、当社みたいな1つの製品しか扱っていない小さな会社に、何を言っているのだろうと思いました。ただ、後から知ったのは、その親会社は2年前からいくつかの会社をグループインさせていて、計画的に買収を始めていたようです。
その打診があった時にはどのようなお気持ちでしたか
最初の打診があった2月は当社の繁忙期でしたし、それまで考えたことが無い提案だったので4月まで保留にしてもらいました。悩むというより、常にニュートラルな気持ちでした。
4月になり再度連絡がきたので、顧問税理士のアンカー税理士法人に相談しました。アンカー税理士法人には「これまでの経験から、海外から具体的なオファーが来ているのだから、きっと良い方向に向かうでしょう。話を聞いて良いのではないでしょうか。」とアドバイスをいただき、それから本格的に話を進めていきました。
当社の6月決算が確定する8月までは具体的には動けないと思っていましたが、先方から資料の要請など積極的なアプローチがあり、話がどんどん進みました。
交渉に当たり重要視されたのはどのような点ですか
一番に確保したかったのは従業員の雇用を守ることです。それから、自分の年齢のことを考えるといつまで頑張れるか不安があったし、義理の息子に譲るにしても株を譲渡するのに資金面の問題もあるので、最初に先方に提示された条件を受け入れるつもりで話を進めていきました。
手続きを進める中で困ったことなどありましたか
経営するうえでM&Aを行うことを前提としていなかったので、M&Aの手続きに必要な古い資料や書類をきちんと整理できていなかったので苦労しました。財務・経理を自ら行っていたので、自分の判断で安易に処分してしまった古い書類などがありましたが、M&Aには重要な書類であるということを再認識しました。
でもそれを助けていただいたのがアンカー税理法人の小林先生で、必要な書類をすぐに揃えていただいて非常に助かりました。これも長いお付合いがあってずっと支えてもらっていたからだと思います。
M&A手続き中に感じたお気持ちを教えてください
手続き中に不安を感じたことは一度もありませんでした。M&A手続きの知識が無かったので、八木さんから依頼された書類をとにかく準備すれば良いと思っていました。不足する書類は小林先生に手伝ってもらいながら揃えて、M&Aがうまくいって欲しいという願いだけで、途中で迷うとかM&Aを止めようとか、そういう感情も一切ありませんでした。
株式譲渡の金額についても、当初提示された条件から始まり、ずっと価格交渉を続けてもらい、どんどん金額をアップしてくれたのでありがたいと思っています。
譲渡日の心境はどのようなものでしたか
私自身はそれほどセンチになっているわけではなくて、淡々とこれまでやってきたことにやっとけりがついたという安堵の思いが一番でした。従業員がそのまま働くことができてホッとしています。この話が無ければ、自分はいつまで頑張れるか、いつまでできるかという不安がありましたので、安心したという心境です。
昨年9月に株式を譲渡され、2021年2月に引継ぎを終わって今に至りますが、M&A実行後のお気持ちはいかがですか
うまくいって非常に良かったと思っています。失敗したという気持ちはありません。
ただ、(感染症の影響で渡航制限があったので)アメリカの社長に直接お会いして握手して別れるということができなかったことが残念です。
今後どのような会社に発展して欲しいですか、また従業員の皆様へのメッセージなどをお願いします
以前から従業員には伝えていますが、「Prism」を扱っている当社に足りないのは技術力だと思っています。海外のソフトウェアを日本語化する、というのも一つの技術ですが、ただソフトウェアの手直しをするというだけでは無くて、グローバル展開できる専門的な技術を備えて欲しいと思います。このM&Aによって譲受企業が持つ多数の専門的な技術者達のノウハウを使えるようになることがメリットの一つです。それにより、日本のお客様を手厚くサポートすることができるようになります。今の従業員も同じ気持ちで目指してくれていると思います。
販売ノウハウは既にありますので、今後はグループ会社の他の製品を日本に展開して製品数が増え、対応する従業員も少しずつ増え発展していくと思います。
松本様がこれからやりたいことは何ですか
新たな事業をやろうという考えは今は何も無いです。
ただのんびり釣りでもして、趣味のDIYをするとか、そういう何でもないことをして過ごすことになると思います。昔は仕事の合間に子供の机を作ったり大工仕事をしていました。この2月から「ククサ(北欧の木製カップ)」作りに取り組んでいます。
それから最近終活も始めまして、今週永代供養のお話を聞きに行く予定です。
小林税理士から一言
M&A後も引き続き税務顧問業務に加え給与計算などの新規業務もお受けすることになって、松本様に感謝しています。
松本様の会社創業時や残された従業員への気持ちも今回のインタビューを踏まえ、改めて知ることができました。そのような思いを今後も税務顧問を続けていくうえで次の時代へと繋いでいけるよう、お力添えできればと思います。
M&Aの当日の心境やその後のお気持ちを知ることができ、大変結い意義な時間でした。ありがとうございます。
八木から一言
今日初めて伺うお話もあって、有意義な時間になりました。改めて、松本様からお気持ちを伺うことができ、パワーをいただきました。ありがとうございました。
右上:松本 靖夫氏
左上:アンカー税理士法人 小林 良和税理士
左下:かえでファイナンシャルアドバイザリー 八木
編集後記
本日のインタビューは初めてオンラインで行い、一時、音声が入っていない等のアクシデントもありましたが無事に終了し、ご協力いただきました松本氏と小林税理士に感謝申し上げます。
「潔い」インタビューを終えて私の頭をよぎった言葉です。松本代表が扱う製品をたった一つに絞ったご判断にも通じます。松本氏には、譲渡した後の喪失感や寂寥感などの様子が一切見受けらず、清々しいとさえ思ってしまいました。それは心残りのないM&Aの証であり、ご縁あって当社もお手伝いできたことを嬉しく思います。
コロナ禍でハッピーリタイア後の楽しみが制限される中ですが、これからどのような新しい行動を起こされるのか、松本氏のこれからにとても興味があります。これからも是非近況をお知らせください。
(編集:道次)
かえでファイナンシャルアドバイザリー株式会社
シニアマネージャー
八木 敦史 Atsushi Yagi